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無謀と言われながら34歳で渡米した理由 第7回【衝撃の展開編】

体調不良のために、しばらく連載の更新が滞っておりました。
無謀シリーズを楽しみにしてくださっている皆様、長らくお待たせしてしまい、すみませんでした。

もうすっかり元気になりましたので、通常通り記事を更新しますね!

さて、前回からの続きを書きたいと思います。

ビーグレンという企業の業績も順調に伸び、プライベートでは、渡米前から行きたかった念願のセドナ旅行etc……

セドナの街


ベルロック



真ん中の細長い物体は私です……



アメリカでの生活にも慣れ、充実した毎日を送っていた私達ですが……年末に近くなった11月の末、主人の祖父の急死というまず最初の衝撃が私達を襲います。

この一報を聞いた私達は、すぐにでも帰国をしたい気持ちで一杯でしたが、あまりに突然のことで、様々な理由から日本に帰る訳にもいかず、その時は帰国を断念せざるをえませんでした。

亡くなる間際まで、「孫に会いたい」とひたすら願っていたという祖父と最後のお別れができないというのは本当に辛い決断でしたが、当時の私達にはこの選択肢しかありませんでした。

そしてその悲しみが癒える間もなく半年後、今度は彼の祖母が他界してしまいます。幼い頃は忙しく働く母親の代わりに、祖母に大切に大切に育てられた主人の深い悲しみは計り知れず。憔悴した彼の姿を見るのは本当に辛いことでした。

そして……

さらに私達を奈落の底に突き落とすような出来事が起こります。

祖母の死を嘆く間もなく、2週間後に葬儀の喪主を務めていた彼の父親が急死してしまったのです。普通では考えられないような悲しみの連続に、私達夫婦はただただ茫然自失状態となりました。

もうこれは、どんな事情があっても帰国をしなければならないと準備を始めました。

私達の思いはひとつ「早く父親に会いたい」「今まで温かく見守りながら育ててくれたお礼をきちんと言いたい」ということ。

お互いの会社に説明をして、飛行機のチケットを取ってすぐに帰国をしても2日間はかかってしまいます。こういう時に家族と遠く離れて暮らしていることのジレンマを感じることになります。

ですが、彼の家族は、帰国の日に合わせて通夜と葬儀が執り行われるよう、必死の準備をしてくれていました。たくさんの親類、ご近所の皆さんの尽力のおかげで帰国早々、主人が喪主を務め、家の長男としての任務をきちんと果たす事ができたのです。


私はこの時に初めて「古き良き田舎の人々の絆や心の温かさ」というものを見せてもらった気がします。

きっと喪主を立派に努め上げた姿を見て父も喜んでくれていると思うでしょう。
頼もしい息子になったと思ってくれたんじゃないかなと。

こうして初七日まで日本に滞在し、アメリカに無事に戻った私達ですが、その時主人には少しずつですが、心境の変化が起こっていたのでしょう。

それは、「半年で家族を3人も失ってしまった」ということ。

そしてもう一つ「祖父や祖母、病気がちな父の3人の看病をしていた母親が一人ぼっちになってしまった」ということ。

人一倍、親思いの彼には《最愛の伴侶を失ったばかりの母親》を一人残して、自分達だけアメリカに戻ってきたことが不憫でならなかったのでしょう。

私はその時、そんな彼の苦悩を深く察してあげる事ができていませんでした。

義父が他界したのは6月でしたので、8月には初盆を迎えることになります。

田舎の新盆というのは、お葬式と同様に大切な行事で、親類縁者や町内、友人関係者などが「新盆見舞い」を持参し、初盆のお宅を回る風習が残っています。

新盆見舞いに来て下さった方々には、一人ずつお返しも用意します。まさに2回目のお葬式という雰囲気、自宅の仏間に豪華な飾り付けをして仏様をお迎えするのです。

今年の初盆は3人となる訳ですから、それが「家」にとって非常に重要な行事であることが、東京で核家族の中で育った私にはまだ理解できていなかったのです。

帰国してから2週間ほど経ったある日、彼が私の目を見て、静かに切り出しました。

「日本に帰りたいと思っている」と。

この時私は、一時的に帰国したいと言っているのだと勘違いしました。

それはまさかアメリカでの生活を引き払って日本に移住するなんて考えてもいなかったから。

でも、彼の気持ちは「一時帰国」ではなく「日本への移住」でした。

話を切り出された時、私の気持ちは激しく動揺しました。結婚してから二人で一生懸命築き上げたアメリカでの生活をリセットするなんて絶対に嫌だと。



渡米してルームシェアの生活から始まり、やっと大好きな家を見つけて住むことができた。グリーンカードも申請し、もうすぐ取れると連絡をもらった矢先に、何故に今の生活を全部捨てて、何の当てもない日本に帰らなければならないの??

何よりも辛かったのは、アメリカで出会った友人、異国の地で苦労を分かち合い、共に支え合って来た親友、愛してやまないビーグレンの仲間達と離ればなれになってしまうこと。

そして偶然の出会いから始まり、今まで沢山のことを教わった児玉社長ともお別れしなければならないということ。

児玉社長からは、傍でもっともっと教わりたいことがあったし、それがこれからもできると信じて疑わなかった。

この地を離れなければならないかと思うと、様々な想いがこみ上げてきました。

人って「自分にとって何か重大なこと」が起こるまで、目の前にある当たり前の生活がどんなに大切だったかと気付かないものですね。

この件について数日間、彼と寝る時間も惜しんで話し合いましたし、あまりのショックで眠れてもうなされ、飛び起きてしまう日々が続きました。

でも、彼の意思は固かった。私達は夫婦ですからどんな時も一心同体、彼が決めたことに従うまで。

こうして私は、ビーグレンを退社し、日本に帰国することを決意するのです。


natsuko

野口 奈津子  ブランドマネージャー

長年の美容系PRを経験後、34歳で突然渡米。不思議な縁がきっかけでビーグレンに入社。 4年前帰国してからビーグレンに再び復帰。現在はマーケティングとイベント・パーティ-の企画運営に携わる。 趣味は本格的に学んだ風水、世界のパワースポット巡りとクリスタル収集。 パワー不足になると日本の温泉や神社を訪ね充電しています。



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